【特別企画】
「ガンダム ジークアクス」の2つの面白さ、変化したMS開発系統と、マチュとニャアンの描き方について語りたい!
2025年6月27日 00:00
- 【機動戦士Gundam GQuuuuuuX】
- 配信:Prime Videoほか
「機動戦士Gundam GQuuuuuuX(以降、ジークアクス)」が終わった。本作は「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」などのアニメ作品を手掛けるカラーと、サンライズの共同制作の作品だ。
本作は"アニメ「機動戦士ガンダム(以降、ガンダム)」の架空戦記“というコンセプトの作品だ。「ガンダム」ファンには驚くべきことだが、「シャアがガンダムを奪ってしまった世界」なのだ。結果、一年戦争にジオンが勝利し、宇宙の覇権を握る。”正史”である「ガンダム」の世界とは大きく異なる歴史を歩むパラレルワールドとなっている。
「ガンダム」は、実は“ゆらぎ”がある。TVアニメ版と劇場版でも細かな違いがあり、監督である富野由悠季氏が執筆した設定やストーリー展開が大きく異なる小説版、さらに安彦良和氏による「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」もあって、ファンの中でも"正しいガンダム"というのは同一のものではなく、それぞれの違いも飲み込んだ上で「ガンダム」を捉えている人も少なくない。今回、“架空戦記のガンダム”を提示した「ジークアクス」によって、視聴者は「自分の中のガンダム」をもう一度見つめ直すことになっただろう。「ジークアクス」は、45周年を超え、複雑化した「ガンダム」を振り返るという、今だからこそ生まれた作品と言える。
多くの注目ポイントを持つ「ジークアクス」だが、本稿では「シャアがガンダムを奪ったことで変化したMS開発の歴史」と、「ニャアンの決断を促したマチュのヒーローとしての資質」という2つのテーマを語っていきたい。「ジークアクス」が特に力を入れて描いたと感じた点であり、その面白さを語っていきたい。なお、物語終盤まで言及しているので、ぜひ全話見た後読んでほしい。
山下いくと氏ならではの解釈で、「ガンダム」のMSが生まれ変わる
筆者の「ジークアクス」の出会いは劇場版「機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginning」だった。TV放映に先駆け、編集が加えられた「Beginning」では、「人類が増えすぎた人口を~」という、ファンにとっては何度も見た「ガンダム」の冒頭シーンがそのまま流れるのだ。
そして宇宙空間を進む一つ目の巨大人型兵器「ザク」が現れる。シーンのタイミングやアングルどころか効果音まで「ガンダム」そのままなのだが、ザクのデザインは「ジークアクス」のものになっているところが面白い。本作は山下いくと氏によってザクやガンダムがデザインされている。「ガンダム」を強くリスペクトしつつも独自の解釈がとても興味深い。
山下いくと版ザクは特にスラスターが太ももに配置されているのが「ガンダム」のザクと異なる。このスラスターの効率の良さは、宇宙空間を進むときはもちろん、サイド7に降下したときに特に効果的に演出された。「ガンダム」のザクのデザインをうまく換骨奪胎したデザインと言える。
ガンダムのデザインはザク以上に大きく異なっている。「ジークアクス」のガンダムはまるで4つの目があるかのようなセンサーが配置され、大型化したバルカンなど、かなり異様な顔をしている。バックパックがコアファイターそのままになっているのは、河森正治氏がデザインした「ガンダムGP01」の「コアファイターの大推力を合体時でもきちんと利用する」というコンセプトの踏襲にも感じられる。
そしてこのガンダムがシャアに奪われ、「シャア専用赤いガンダム」になってしまうのが「ジークアクス」での注目ポイントだ。「ジークアクス」の面白いところは「ガンダム」のパラレルワールドなだけに「ガンダム」の知識がそのまま活かせるところだ。「ガンダム」では現実の兵器が発展進化していったように、連邦とジオンでそれぞれMS開発系統樹がある。
ジオンは様々なMSを開発するだけでなく、1機で戦局を変えるような大型兵器MA(モビルアーマー)や、ニュータイプ専用兵器を投入。連邦軍はガンダムを量産化したジムを大量生産して反撃に転じる。
こういった“本来の流れ”が、「シャアがガンダムを奪った世界」では兵器の開発、発展の流れそのものが変わってしまう。赤いガンダムは「ガンダム」のエルメスに搭載されていたサイコミュと、ニュータイプの思念で操作される遠隔攻撃兵器「ビット」を装備する。ガンダムを失った連邦軍はガンキャノンの量産型「軽キャノン」を主力MSとする。そしてジオン軍はガンダムの技術を解析し、量産型MS「ゲルググ」を生み出す。
ゲルググという名前のジム!? パラレル世界だからこそ楽しいMS開発史
「ジークアクス」ではジオンの勝利から5年たった世界。ザクはMSの代表的な存在として各自治コロニーの防衛戦力や、民間の作業用にも払い下げられているが、ゲルググは現用機としてジオン軍が管理・運用している。「ガンダム」ファンにとってジムにしか見えないMSがゲルググと呼ばれるところに、「ジークアクス」の架空戦記としての面白さがある。視聴者は「ガンダム」でのMSの開発史が、「ジークアクス」でどう変わったのか、その違いを楽しむことができる。
ゲルググは単純なガンダムの量産機ではなく、バックパックの形が後に開発される「ジークアクス」に似た形だったり、足裏のバーニアがザクを思わせる配置になっていたりと、「ジークアクス」ならではの開発過程を感じさせるのも面白い。
そのほかにも、ビグ・ザムが量産されていたり、ギャンが量産されキシリア配下の「ニュータイプ部隊」に配備されていたりと「ジークアクス」のMSは「ガンダム」の知識があれば一層面白くなる。その中で「ジークアクス」ではあまり語られない連邦軍の最新戦力として登場するのが「サイコガンダム」と「ハンブラビ」である。どちらも「ガンダム」では一年戦争から7年後の「機動戦士Zガンダム」で登場するはずの機体だ。
ハンブラビは「Zガンダム」ではムーバルフレームとマグネットコーティングで瞬時に高速移動形態に変形できるが、「ジークアクス」では“変形に時間がかかる”という設定になっている。そしてサイコガンダムに至っては、装甲をパージし、生物の筋肉のような発光する内部フレームを持った姿に変わり、外した装甲を浮遊させて武器として使うのだ。「ジークアクス」より先の時代を描いた「Zガンダム」ですら出てこない謎の先進技術を使っているようなサイコガンダムは、「なぜこんな技術を連邦が有しているのか」という疑問も生まれる。
「ジークアクス」の世界はガンキャノンもビーム式のキャノンを装備していたり、特に連邦側は「ガンダム」よりも技術が進歩しているような描写がある。「ジークアクス」はまだまだ語られていない設定があるようだ。
「ガンダム」シリーズは様々な魅力的なポイントがあるが、やはり大きなウェイトを占めるのがメカである。MSの活躍、運用のされ方にファンは期待する。「ジークアクス」は「ガンダム」のパラレル、というスタンスをとることで、ファンの心の中で「正しい歴史とどこがどう変わったのか?」という独特の視点を獲得した。ジオン側の水陸両用MSがちらりと出てきたり、わざと描写していないところも多くあり、考察しがいのある作品である。
戦争が生んだゆがみ、生きていくためにその状況を受け入れるしかないニャアン
ここからは「マチュ(アマテ・ユズリハ)」と「ニャアン」という2人の主人公の描かれ方、特に物語の終盤の衝撃を細かく語っていきたい。「ジークアクス」はキャラクターのドラマだけでなく、パラレルとしてシャアがガンダムを奪うことで生じた変化、その後の5年の世界の変容、政治劇、赤いガンダムを追うシャリア・ブルやソドン(ペガサス)クルー達の思惑などなど多くのドラマを全12話に詰め込んでいる。
結果、主人公2人の関係性の変化は唐突さを感じさせるスピード感があった。5話でニャアンがジークアクスに乗って"キラキラ"を体験し、そこにマチュが嫉妬するという描写の後、マチュはソドンに捕らわれ、ニャアンはなんとジオンの中心と言えるキシリアの"秘蔵っ子"になってしまう。正直、筆者は10話の終盤、マチュとニャアンがそれぞれのガンダムに乗って対峙するシーンで、「2人の掘り下げが足りないのではないか?」と感じた。
10話終盤の2人の対峙は、「世界を大きく変えてしまう兵器の中で、同じ男性(シュウジ)を愛したマチュとニャアンがそれぞれのガンダムに乗って対峙する」という、「ああ、スタッフはこれを書きたかったんだろうな」という思惑が透けてしまった気がした。「この形に押し込むためにキャラクターを動かしたにしては、2人の確執などの掘り下げが足りないんじゃないの?」と思ったのだ。しかしそういった筆者の浅はかな感想は11話で粉々に打ち砕かれた。
11話で、ニャアンは「初めて得ることができた安住の地」であるはずのキシリアを、マチュを守るため撃ってしまうのだ。ニャアン自身も自分の行動に全く納得ができず、キシリアに許しを請うようにオロオロするだけ。一見矛盾だらけの行動に見えるが、それこそが“根無し草”である彼女の本質であると筆者は感じた。
ニャアンは難民だ。彼女はサイド2に住んでいたが戦争に巻き込まれプチモビルスーツを操縦して家族の安否もわからぬまま脱出、サイド6に逃げ込み、難民(不法移民)として非合法な仕事にも手を染め生きてきた。マチュやシュウジと出会う前には友達と呼べる存在もなかったようで、「友達」という存在に強く憧れている。
そんな彼女はまさに「生き残る」ため、流されるままキシリアのニュータイプ部隊の勧誘を受け、最終兵器といえる「全地球環境改善用光増幅照射装置 イオマグヌッソ」の制御装置となる「ジフレド(GFreD/ガンダム・フレド)」のパイロットになってしまう。キシリアに気に入られ、その能力を認められるという、これまでと全く異なる恵まれた環境を与えられた。
しかし、それなのにニャアンはマチュを守るため、キシリアを撃ってしまう。それはマチュがニャアンにとって初めて、「自分のために怒ってくれた」かけがえのない人だったからではないか? マチュはニャアンがこれまで生きるために目をつむってきた様々な理不尽に対して初めて、「そんなのは間違っている!」といってくれた人なのだ。ニャアンにとってマチュがどれだけ大事な人か、ニャアンは自覚すらせず、自分の一番大事なものを、このとき選んだのである。
物語の根幹の魅力は理不尽に立ち向かうマチュの“正しさ”
ニャアンが選んだマチュの"正しさ"とは何だろう? マチュは自分の中の閉塞感に不満を抱えている人間だ。サイド6は中立を宣言したことで戦火を免れた地域であり、「戦争を知らずに育った」マチュは他の人から見れば「恵まれた立場に生まれた人」だろうし、劇中何人からそう指摘される。しかしそれはマチュの“本質”とは全然関係ない。
マチュは「理不尽に対してきちんと怒ることができる人物」なのである。彼女はニャアンと知り合い、「難民」を意識する。そしてサイド6の軍警察が住人の安全を気にもかけず難民キャンプを破壊する姿に直面し、マチュは何も考えず彼らを止めるためにMSに走る。
マチュは一見破天荒な人物に見える。彼女は偶然出会ったジオン軍の最新兵器「ジークアクス(GQuuuuuuX/ガンダム・クアックス)」に乗り込み、操縦ができたことで運命を大きく変えるのだが、彼女の行動は決してめちゃくちゃなものでなく、「理不尽への怒り」で一貫しているところに注目してほしい。マチュは自分のことを見もせず型にはめようとする学校や母親に反発し、難民であるというだけでこちらを捕らえようとする軍警に怒り、そして“向こうの世界”からやってきたララアを利用しようとする人たちに怒る。その怒りは、ニャアンが目を背け続けてきた、「正しいことをまっすぐ求める気持ち」だ。この心を持っているからこそ、ニャアンにとってマチュは大事な存在となった。
マチュの怒りは「戦争に巻き込まれていないから」、「恵まれた環境で育ったから」という立場が生んだ傲慢な正義感では決してない。恵まれた環境にあっても、多くの人は理不尽から目を背けて生きる。しかしマチュは「それは間違ってる!」と理屈でなく、直感で反発し、行動できる。それは彼女の“ヒーローとしての資質”である。その“魂”こそが、ニャアンを、シュウジを、シャリア・ブルを惹きつけたのだ。
ニャアンは生きるためにその場その場に対処してきた。変化し続ける状況に自分を殺して、流されるままに生きてきた。しかしその彼女がたどり着いた場所をなくしても守りたかったものが、「マチュの正しさ」だった。キシリアを思わず撃ってしまい、そのことに動揺する。そして、根無し草であったニャアンが見つけた大事なもの、理屈より深いところで下したニャアンの選択こそが、終局に向かっていく物語の希望になる。この構図に筆者はしびれた。
「ジークアクス」は、「『ガンダム』のパラレル」であり、ファンにとって非常に考察が楽しい作品だ。しかしその根幹に流れるテーマは「理不尽に立ち向かい、戦う少女達の物語」という、非常にわかりやすく、熱いものだ。苦境にも折れず、理不尽と真っ正面から戦うマチュが主人公であるからこそ、ニャアンやシュウジ、シャリア・ブル、そしてシャアは救われ、新しい未来へと歩めたのだ。色々な要素で本作は楽しませてくれたが、この本質は、見逃してはいけないと感じた。
まとめ
「より若い人に『ガンダム』を見てほしい」というのは、関係者はもちろん、ファンの想いでもあると思う。特に古参のファンにとってはTV版「機動戦士ガンダム」の多くの人に衝撃を与えた革新性に触れてほしい、という想いが強いのではないだろうか。しかし絵柄の古さ、価値観の違いなど、ハードルがあるのも確かだ。
これまでも様々な作品が初代「ガンダム」へのリスペクトを込めて製作されてきたが、「ジークアクス」は新しいファンを「ガンダム」に興味を抱かせる作品になったと思う。これまで「ガンダム」に触れていなかった人の作品に触れるきっかけになって欲しい。
そして「ジークアクス」は魅力は、「『ガンダム』のパラレル」というだけでない、ということを強く主張したい。その根底には、共感しやすい物語と熱いキャラクターというとてもわかりやすいテーマがある。「面白い作品」として大事な要素をきちんと満たしていたことを、大きく評価したい。
(C)創通・サンライズ